看護師といえど、所詮はサラリーマンだ。
総合病院の精神科で働いていた私は、精神看護専門看護師として「病院のために頑張らなければ」と思っていた。
もちろん、仕事にはやりがいがあった。
でも、それと同じくらい、頭の中にあったのが――
「勤続年数が増えたら、給料はいくら上がるんだ?」
「このまま働いたら、退職金はいくらになる?」
「あと何年働けば、これくらいになる?」 である。
今思えば、かなり「退職金好き」だったしヨダレを垂らしていた。
給料表と退職金規程を見ながら、未来の自分の通帳を勝手に想像していた。
ところが。
子どもが生まれて、そんな計算をしている場合ではなくなってきた。
子どもと会う時間が、ない。
サラリーマン看護師として働いていると、日勤でも帰宅は夜7時、8時。
それが当たり前だった。そして夜勤もある。家に帰ったら、子どもはもう寝ている。
朝、子どもの顔を見て出勤して、帰ってきたら寝ている。
「……あれ? 俺、子どもといつ会ってるんだ?」まだ乳幼児期。
抱っこしたい。
一緒に遊びたい。
成長を見たい。
でも、仕事がある。
「仕方ないよな。生活のためだもんな」そう自分に言い聞かせていた。
しかも妻もフルタイムの看護師。夫婦そろって看護師。
夜勤と日勤を組み合わせながら、なんとか家庭を回していた。
## 「キャリア」と「退職金」と「子ども」
ある時、ふと思った。
「俺はいったい、何を守ろうとしているんだ?」
もちろん、お金は大事だ。
キャリアも大事。大学院時代の院生は皆CNSで活躍されている。
退職金だって大事だ。
でも、そのために今しかない子どもとの時間を削っている。
子どもは待ってくれない。
「パパ、あと10年したら一緒に遊ぼうね」なんて言ってくれるわけではない。
今、抱っこしてほしい。
今、一緒に遊んでほしい。
今、一緒にご飯を食べたい。そう考えたら、
「将来のために貯めるお金」と同じくらい、
「今の子どもに使う時間」も大事なんじゃないか。
いや、むしろ今はこっちに投資したほうがいいんじゃないか。
そう思うようになった。
## 退職金より、子どもの「パパ!」
そこで私は、サラリーマン看護師を辞めた。もちろん怖かった。
何年も働いてきた病院を辞める。
毎月入ってくる安定した給料がなくなる。
退職金も変わってくる。
「本当に大丈夫なのか?」
当時は、1か月でも収入がなくなったら大変なことになると思っていた。
今月の給料がない。それだけで人生が終わるくらいに思っていた。
……今思えば、ちょっと大げさだった。
## 辞めて数年。で、どうなった?
結論から言う。
ピンピンしている。
もちろん収入が減った時期もあった。
「ああ、サラリーマンって安定してたんだな」と思うこともある。でも、死んでいない。生活もしている子どもも育っている。
そして何より――
子どもと触れ合う時間は、ものすごく増えた。
これが大きかった。
一緒にご飯を食べる。
話をする。
遊ぶ。
学校のことを聞く。
くだらない話をする。
そういう何気ない時間が増えた。
以前なら「仕事があるから」と諦めていた時間が、少しずつ戻ってきた。
もう一つ、辞めてみて分かったことがある。
私は、意外と家事が好きだった。
学生時代に一人暮らしをしてから、料理も好き。
掃除も嫌いじゃない。
家を整えるのも好き。
だったら、家のこともちゃんとやろう。
そう思って、主夫業にもかなり時間を使うようになった。
仕事だけが人生じゃない。家族と過ごす。家を整える。料理をする。子どもの話を聞く。自分の生活を整える。
こういうことも、ちゃんと「仕事」なんじゃないかと思うようになった。
「収入がなくなったら終わり」という呪い
サラリーマン看護師だった頃の私は、
「毎月給料をもらうこと」
「勤続年数を積むこと」
「キャリアを積むこと」
「退職金を増やすこと」
それが人生の安定につながると思っていた。
もちろん、それは間違いではない。
お金は大切だ。将来のお金を増やすことも大切だ。
でも、それだけじゃなかった。
人生には、**今しか買えないもの**がある。それは、子どもと過ごす時間だった。
## お金を増やすだけが「投資」じゃない
投資というと、株やNISAを思い浮かべる。
もちろん、それも大切だ。でも私は今、
子どもとの時間も投資だったんじゃないかと思っている。子どもに投資する。家族に投資する。自分の生活に投資する。
家を整えることに投資する。そして、自分自身の人生にも投資する。もちろん、お金も増やす。でも、「お金を増やすために人生を削る」ところまでいったら、ちょっと本末転倒だ。
退職金がいくらになるかを計算している間に、子どもはどんどん大きくなっていく。
だから私は、あの頃の自分に言いたい。
「退職金も大事だけどさ。たまには子どもの顔を見ろよ」
そして今なら、こうも付け加えたい。「人生、意外となんとかなるぞ。」